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走筆 memo

「日本の公共劇場を考える vol.4  - レパートリーとドラマトゥルグ -  」
世田谷パブリックシアターのレクチャー、講師は松井憲太郎さん。
劇場の「レパートリー」の創造の話を聴きながら、
レパートリーを生み出す基盤としてのアーカイヴのことを考えていた。
創造を生み出す仕組みとして「ドラマトゥルグ」があるとして、
その仕事の拠って立つところはリサーチにあるんじゃないか。
なら、そのリサーチを可能にする条件は? 
ライブラリ?アーアカイヴ? どうなっているんだろう。

 Damda!を立ち上げたとき、地方にあって、
 片端から観る、知る、調べることにもの凄いエネルギーを費やした。
 いま身体でどんなことが表現されていて、何が欠けていて、次に何が求められているか、
 むしろニーズの方が直接的で、アーカイヴの必要を痛切に感じた。
 それは観たい、知りたい観客にとっても、創るアーティストにとっても、提供する制作にとっても。

偶々同じ会場で、その後、新国立劇場の「芸術監督」選考についての公開トークがあった。
主催はAICT国際演劇評論家協会日本センター。
新聞でしか知らなかった動向を丁寧に知る。

 凄いなぁ。決定ありきの名ばかり管理職…じゃなかった、選考委員会に理事会。
 選考のプロセスについて出されたクエスチョンに応答はなく、HPや記者会見で一方的な表明。
 国のレベルでもそうなんだーというか、国の劇場だからマズい。

演劇は門外漢。でも、パブリックシアター、ナショナルシアター、芸術監督、ドラマトゥルグ、プロデューサー、コミュニケーション、官僚、理事長、選考委員、事実、プロセス、公開、態度表明、任期、劇作家、演劇人…話を聞きながら、
突飛かもしれないけれど、芸術監督をソーシャルワーカーに置き換えてみる、一旦。
社会的な変化・変革を起こす役割を担う。組織に属しながら足場を確保するには?
たとえばワーカーの倫理綱領のようなものを劇作家協会なり舞台芸術に関わってきた側が打ち出すことはできるのだろうか。ライブラリアンの図書館の自由宣言のような、劇場の自由宣言。それはあくまで利用者のため。そこに芸術監督が位置づけられないか。
芸術監督が誰(何)のためにどんな仕事(役割)をするのかという足場(言葉)があれば、芸術監督をお願いします、お引き受けします、ではなく、条件を示して契約できるように思い、省庁の政務官みたいになる状況を避けられないか、と思ってみる。簡単ではないとは思うけれど。
新聞では遠山敦子理事長の「現場」とのコミュニケーション云々というコメントが掲載され、するとそうなの?というように伝わる。この「現場」はどこを指しているのだろう。新国の事務局?現場は舞台?すると業者?
うーん。やっぱり出てこない、観客。毎日新聞では「この際観客も加え議論を」という見出しがあって、後から「も」といわれちゃう。

芸術監督をかためる制作集団として「ドラマトゥルグ」が必要という話も出ていた。その制作集団は事務局スタッフがなりえるのか、芸術監督が選べるのか。名ばかり、というかお飾りとなっていきかねない監督の仕事。人事権までもっていれば、確かに、違う動きができるのかも。個別の上演作品では、スタッフを固めることでそうしているといえるかも。

新国の事務局と演劇の人が「芸術監督」に関する試案をつくる可能性はあるのかしら。

井上ひさしさんは「国民の劇場」といい、栗山民也さんは「開かれた劇場」といったという。

観客となる国民…というとぼやけるから、個人にとって…と考えると、それ以前にやっぱり劇場は遠いなぁと嘆息。
観ることのできた新国立劇場の、いくつかの舞台を思い出してみる。ついでに国立劇場も。
新国立といえば、当日でもとれるチケット、勿体ない空席、フロアのスタッフの数が多いこと、なので扉を両側から開けて貰えること、情報コーナーが奥まって閑散としていること、エントランスの方は夜は守衛さんなので尋ねてもわからないこと、などつらつら思い出す。
劇場へ足を運んだことがあっても門外漢のように思う。ましてや、劇場に行ったことがなければ発言する立場にないように感じる…というか、知らない、というか関係をもてないところで暮らしている方が多勢なわけで。

新国立劇場のHP「新国立劇場における芸術監督とその役割」を読み直し、新聞などの情報をチェックし直す。

会場で、今日届いたという『シアターアーツ』を購入。
武藤大祐さんが「市場ではないパブリックへ」という時評を書いていた。
表現の送り手の側が「自分が創りたいものつくっている」というスタンスは、市場であれ、体制(60年代コトバ)であれ、回収されていく。
ざっくりいって、演劇の人は言葉をもち、ダンスの人は身体をもっていて、アートの人はいろいろもっている。パブリックの梃子となってほしいな。
私たちは、というか私は、それが観たいから。
by damda_office | 2008-09-15 08:14


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