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パプアニューギニア

いろいろなことをしていた、自分が何をどう表現していくか迷ってたって言ったかなぁ? 若かりし頃の藤浩志さん。

「いろいろなことをしていた藤さんが、これだっていうのをつかんだのは?」
と訊ねたところ、
「うん、それがヤセ犬だったんだ」

ところはパプアニューギニア。
なぜ渡ったか。

近代以降の「美術」「芸術」の成り立ちに疑問をもち、自分なりのアートの意味をつかもうとしていた藤青年。
就職面接に行く電車のなかで見たエルマガジンで、国際貢献の記事をみつける。
で、面接に行くのをやめてしまう。
たとえば韓国に行けば10年、中国なら20年、日本の今から時間を遡れるのではないかと思ったという。西欧近代の構築した芸術を距離をおいてとらえ直せるのではないか…と考えていたら、
決まった派遣先がパプアニューギニア。
それが地球のどこにある、どんな国か知らなかった藤さんは、図書館でやっと探しあてたパプアニューギニアの原住民の写真を見て「えーっ、遡り過ぎだよ!」って思ったとな。

実際に行ってみると、次々ひっくり返される当たり前。
たとえば、パプアニューギニアで家族のことを訊ねると「お父さんは誰と誰と誰で…お母さんは誰と誰と誰で…」って答えが返ってくる。子ども達を集団で育てる、子どもが成人するまで名前を授けない(子どもの死亡率が高い。成人までに死んでしまう子どもが多く、成人をむかえて祝って命名)ため、そうなるらしい。

 少し前の日本だって、七人八人兄弟のうち一人二人は亡くなっていたわけだし、
 七五三のお祝いは無事の成長を祝ってのものだ、そういえば。
 地域(村落共同体)には「十親(とおや)」といって生みの親、名付け親、乳飲み親…と一人の子どもには十の親がいるって話も思い出す。

そんなことに始まって、数の概念、平面の概念、ことごとく違う。
パプアニューギニアには「平面」という概念がない。
ちなみに現地での藤さんの仕事は美術の講師。
立体をつくるためのデッサンをするように言うと、みんな手が動かない。そうこうしてると生徒がいなくなってしまう。理由を尋ねると、なんだかんだマラリアとかなんとか(校庭でスポーツしてるから元気)、とにかくいなくなってしまう。2週間、3週間、どうしても進まない、描けないようなので、とうとう最後に「しょうがない、好きにつくりなよ」と言うと、ぶわーっと立体が立ち上がる、とか。
 なんと。

パプアニューギニアには「おいしい」という概念も「美しい」という概念もない。
 え。
言葉はその対置概念があって成立するから「醜い」がなければ「美しい」はない、とか。

島での2年間のうちにつけたノート、時間もあって考えては書きためたノートが今も藤さんのベースになる。
滞在期間の2年間がそろそろ終わりに差しかかってきたとき、それに出会う。
ヤセ犬。
by damda_office | 2005-03-25 05:10 | クラチナダンス


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